


世の中に整体院はたくさんありますが、なぜ私が整体を始めようと思ったのか?まずは私の生い立ちを聞いてください。
10月7日午後2時ごろ八事にある水野医院で庄村家次男として産まれる。家族構成としてはあまり帰ってこない父・母・兄・自分。
一応祖母がいたが物心ついた頃には、塩釜口にある八事病院という精神科で有名な病院に今でいうう認知症として入所していた。そして、葬儀の際の棺桶にお花をみんなが入れてる際に祖母の顔の上でパンを食べており、いとこに頭を叩かれ退出。
4歳から、音聞山保育園に入り、常に写真などはふざけた顔をして撮影をしていた。年長になりお泊まり保育の時にお化け屋敷があり、先生方がお面をかぶりお化けに扮し驚かせていた。しかしその当時の自分はかなりのビビリ屋さんでお化け屋敷の中を先生に抱っこをされたまま顔を一度もあげず終了。笑

1年生
クはいラス自体でじめられていた時期でもあり、何人かに囲まれ殴られ蹴られしていた。この頃からスイミングスクールに通い出し始める。
2〜3年生
体が成長し始め、いじめてた子達を気にくわないとひたすらやり返していた。授業も聞かず本棚の上で寝転がりいわゆる問題児。そして、転機が訪れる。女の子と追いかけっこをしていた時に階段から飛び降り足首を捻挫。その捻挫が長引きスイミングスクールを退会。
4年生
幼なじみからサッカーやらない??と誘われ、この頃からサッカーにはまり始める。まだまだ始めたばかりで下手ではあったがどんどんサッカーの楽しさに気づき勉強もせず公園でひたすら友達とボールを蹴っていた。
6年生
突然親からの中学受験の話が舞い込みまさかの毎日塾。部活にも行けずたまに行けば試合なんか出せてもらえるはずもなく、ずっと外から眺めていた。そんな悔しい日々を過ごしながら、いざ中学受験本番、結果は見事合格。しかし、合格した私立中学にはサッカー部はなく、その頃ちょうど来年から地元の中学校にサッカー部ができると言う話を聞き親に頼み込み、私立中学を辞退。
中学1年生
もちろんサッカー部に入部。
入学してから初めて知らされたのが中学始まって以来のサッカー部らしくゴールもなければ伝統もなくまさかの第1期生。しかし、自分らが入学する一年前に赴任された先生がサッカー部の監督なのだが、聞いてびっくり!!その先生が愛知県選抜の監督という素晴らしい先生だった。創部1年目だしなんなら入学1年生なので先輩もいるから最初はボール拾いや雑務を覚悟していたらまさかの1年生しか取らないという事実。後々の話、一から部活を作り1から選手を育てたいという思いがあったそうだ。そうこうしているうちに学校や部活が始まり、学校生活では受験の反動からかまったく勉強せず、成績はどんどん急降下。それとは逆にサッカーに関してはぐんぐんと成長していった。
中学2年生
学年も上がり体もできてきた頃初めての腰痛。サッカーや走ることすらできないぐらいの激痛。ここから接骨院業界へ足を踏み入れたと言っても過言ではない。順調にレギュラーを取り頑張ってきていたのに全く動けないという悔しさ。いつもならピッチに立っているのに外から眺める劣等感。しかし、若さとは怖いもので痛みがなくなり次第またすぐに動き出す。そんな中2年生大会という2年生以下の大会があり今までの経験か、名古屋市で3位という結果を残し、自分も名古屋市選抜に選ばれた。
中学3年生
そして中学最後の年相変わらず部活ばかりやり勉強は塾には行っていたがさほど勉強せず、どっかサッカーのある高校に行けたらいいやぐらいの気持ちでいた。そうこうしているうちに中学最後の大会が始まり順調に勝ち進み発足わずか3年で愛知県ベスト8という成績を残した。
みんなが引退していく中自分だけ引退をせず後輩に混じり部活を続け、受験も無事終わり私立高校へ進学を決めていた時に先生から「なおきーお前に高校からサッカーで推薦きてるぞー」
と軽く言われその高校を調べたら『愛知県立三好高等学校 体育科』
心の中で「やばい!!体育科だから体育しかしなくていいんだ!!しかも寮まであるじゃん」と勝手に思い込みすぐ先生に、「いくいく!!」と即返事をした。
そこから話はとんとん拍子に進んでいき入学が決まる前から部活に参加するようになった。
がしかし、ほとんど何も知らずに行った自分は驚愕の事実を突きつけられ正直びびった。三好高校サッカー部は愛知県でも1、2位を争うチームで先輩たちのレベルも県内トップクラスの人間ばかりだった。けれどもう後戻りはできるはずもなくそのまま入学。
高校1年生
高校に入りよし彼女作るぞ!と思い、ワクワクしながら通学していたのが一瞬で崩れ去った。自分の体育科はほぼ男子、普通科の男子女子はほぼヤンキー「よしっ、部活頑張ろう。」心に決めました。
次に初めての寮生活が始まり親元を初めて離れ親のありがたみがほんの少しだけわかった。そしてその量でも事件が起こる。。。
新入生歓迎会、誰もが楽しい会だがしかし、ビーチフラッグ的な競技の時に悲劇が起こった。
その競技に自分も選ばれいざ自分の番になり競技の時「ヨーイドン!!!!」
その言葉とともに走って相手とも余裕の勝利と思った矢先、相手にタックルをされ肩から落下。耳元で聞こえた「パキッ」あぁ首がなったんだなーと思ったのもつかの間なんか体がおかしい、動けない、そして違和感が出てきた場所を触っていくと今までに触れたことのない突起物。そして、そのまま病院へ行き診断が「鎖骨骨折」人生初めての骨折。楽しいはずの会がまさかのけが人。そんな経験をした。
高校2年生
学年も上がり体もできてきた頃初めての腰痛。サッカーや走ることすらできないぐらいの激痛。ここから接骨院業界へ足を踏み入れたと言っても過言ではない。順調にレギュラーを取り頑張ってきていたのに全く動けないという悔しさ。いつもならピッチに立っているのに外から眺める劣等感。しかし、若さとは怖いもので痛みがなくなり次第またすぐに動き出す。そんな中2年生大会という2年生以下の大会があり今までの経験か、名古屋市で3位という結果を残し、自分も名古屋市選抜に選ばれた。
高校3年生
先輩もいなくなり自分らの代になり自分にもチャンスが舞い降りた。
ただ足が速いだけという自分の特徴であったがそれが自分の武器だったのでひたすらに磨き続けた。だが、最後の大会には出場する機会はなかった。周りからは自分を試合に出せとのコール、しかし、そのコールも届かず出る機会もなく部活引退となった。進路相談の時行きたくもない大学を推薦されたが実は後々から聞くと多数の大学から推薦が来ていたそうだ。
でも、自分への信頼が少なく教えてもらえなかった。りはできるはずもなくそのまま入学。そこから高校卒業と同時に競輪選手を目指せと親の意向に乗った。しかし、本当になりたいかと練習を重ね続けた時に微妙だった。
やはり自分で選んだ道ではない分成長もずば抜けることもなく中途半端に終わり競輪と別れを告げた。そして、現場仕事に就職したが楽しいはずもなくただ仕事の毎日を過ごしていた。
そんなある日に転機が訪れ怪我をして訪れた接骨院がたまたま高校のトレーナーの接骨院であっあった。そこの先生が「お前今何の仕事してるの??怪我ばかりしてたお前なら患者さんの気持ちわかるんじゃない??この業界も視野に入れてみろよ」という言葉がありすぐに親に相談しこの業界に足を踏み入れる。
入学と同時に某接骨院で修行がはじまる。最初は電気つけや雑務を行うなどの本当の下積みが始まりこのころ実は人見知りが激しく患者さんに目つきが悪い、暗いなどのクレームをもらったこともある。
そうこうしてるうちに治療に入らせてもらえることになりたくさんの患者さんに携われることになりどんどん症例を見れるようになった。そこで第一の出会いで自分の次の職場になる人と出会い、その次に夜部と出会う。
そして専門三年生のある日院長から「給料が払えないからやめてくれ」と言われたが声がかかっていたところがあったので何も言うこともなくすんなりとやめた。次に働く場所になったのが6年働くことになる、天白区にある『アライ整骨院』である。
その整骨院は開院してからまだ3ヶ月ほどしか経っておらずまだ患者さん自体もあまり来る方ではなかった。日が経つにつれて駅前でもあるし、中学校高校大学などの最寄駅でもあったので患者さんが増えていき、ちなみにそこでの自分は先生よりお兄ちゃんというような立場であり患者さんにも仲良くしてもらえていた。
そして、国家試験になりまさかの一度目は2点足りず不合格、一年浪人して仕事もしながら日々勉強、試験も3ヶ月前ぐらいになりそんなある日まさかのやべも国家試験ということもあり一緒に勉強をすることになり実はこのころからお世話になっていた。笑
その年の国家試験は見事に合格。やべに感謝しかなかった。が、そこから夜部とは疎遠となり、そのまま時が経ちなんだかんだでアライ整骨院に6年間お世話になり副院長として働いていた。そこでもいろいろ問題があり本当にたくさんのことでお世話になりながら時にはぶつかり合いが原因で診察を休診になったり様々なことが起こっていた頃に知り合いから話を聞いていたこともあり、徐々に介護業界の興味が湧き今後は介護業界だと思い6年働いていた職場を退社。
介護業界に入り色々な体験や色んなことを学びましたが、そこでも2年ほど働いたがなぜかしっくり来ることもなく徐々になぁなぁに結局何がしたいんだろうと考えた時に「よし、原点に戻ってみよう」と思いたまたま声をかけてくれた院で働くことになり約半年働いた時に「この院を買わないか??」という話をもらい急ではあったがこれも全てタイミングだなと思い、Simba鍼灸接骨院を開業しました。
実は僕は元々開業していきたい!と思っていたよりも、ずっと勤めていたい!二番手でみんなの間に入りクッションの役割をしていきたいと思っていたんです。だけども転機にも書いていたように全てはタイミング、そして何のために資格をとったんだろうと思い、そして僕は開業しました。

開業して一番やりたかったのは、「沢山の患者さんをもっと良くしていくこと」でした。でも、僕は新たな悩みを抱えます。施術の大事さ、保険治療では治せない、限界がある。ということを強く思いました。そこで僕はしっかり施術を行える自費での施術を行うことにしました。
僕が施術をして助けたい人は「色んな病院や接骨院に行ったけど納得のいった結果が出ない方」と「何年もの腰の痛み、肩こり悩んでいてどうしたら良いかわからないと何も行動できないままで半分あきらめている方」です。こうしてから「沢山の人」を施術することは中々できなくなりましたが、
本当に困り果てて、施術後に涙を流されるほど喜ばれる方をしっかり施術していけるようになりました。
もしもあなたが本当に悩んでいるのであれば、僕もあなたと同じで体の症状に「寝れないくらい」悩んだ人間です。そして、そんな方をなんとかしたいと心から思っています。

当院は自費診療ですが、それを超えられるだけの自信が有ります。何かあれば相談してくださいね。

-
①タイムズに駐車いただいてからは、湯木動物病院さんを目印に
そちらへ向かってきてください。②動物病院さんの目の前の奥にあるマンションの中にあるのが当院です。
-
①タイムズに駐車いただいてからは、湯木動物病院さんを目印に
そちらへ向かってきてください。②動物病院さんの目の前の奥にあるマンションの中にあるのが当院です。
-
①タイムズに駐車いただいてからは、湯木動物病院さんを目印に
そちらへ向かってきてください。②動物病院さんの目の前の奥にあるマンションの中にあるのが当院です。
-
①タイムズに駐車いただいてからは、湯木動物病院さんを目印に
そちらへ向かってきてください。②動物病院さんの目の前の奥にあるマンションの中にあるのが当院です。
-
①タイムズに駐車いただいてからは、湯木動物病院さんを目印に
そちらへ向かってきてください。②動物病院さんの目の前の奥にあるマンションの中にあるのが当院です。